202604.18
情勢レポート

「パウッパー」外交の行方―新政権発足と対中関係の深化

 ミャンマー語で「同じ母から生まれた兄弟」を意味する「パウッパー(Pauk-Phaw)」という言葉は、ミャンマーと中国の二国間関係を象徴する外交用語として長年使われてきた。中国側はこれを「胞波(pāo bō)」と表記し、習近平(シージンピン)国家主席も公式文書でたびたびこの言葉を用いている。4月10日に発足したミン・アウン・フライン大統領率いる新政権に対し、中国はいち早く関与を強める姿勢を示しており、「パウッパー」外交は新たな段階に入ろうとしている。

 4月3日のミン・アウン・フライン大統領選出に対し、中国外務省報道官は「ミャンマーと中国は伝統的な友好国であり、運命共同体だ」と即座に祝意を表明した。中国は新政権に最初に接触した外国政府となり、駐ミャンマー大使の馬佳(マ・ジア)氏がネピドーを訪れて習近平(シージンピン)国家主席の祝電を直接手交した。

 4月10日の大統領就任式には、習近平主席が特使として中国人民政治協商会議(全国政協)副主席の姜信治(ジャン・シンジー)氏を派遣。習主席は祝電の中で「パウッパー(中国語:胞波)の友好関係」に言及し、両国が「核心的利益」の問題で互いに一貫して支持し合ってきたことを強調した。中国副主席の韓正(ハン・ジョン)氏も、新たに選出されたニョー・ソー副大統領とナン・ニ・ニ・アイェ副大統領にそれぞれ個別のメッセージを送った。

 「パウッパー」という言葉は、1950年代に中緬外交の文脈で広まった。2011年には両国関係が「包括的戦略的協力パートナーシップ」に格上げされ、20年の習主席訪問時には「ミャンマー・中国運命共同体」の構築が宣言された。25年の中緬国交樹立75周年に際しては、習主席とミン・アウン・フライン氏が祝電を交わし、「いかに時代が変化しようとも、ミャンマーと中国は引き続きパウッパーであり続ける」との認識が改めて確認された。同年、両首脳はモスクワで行われた対独戦勝80周年記念式典の際にも会談を行い、関係強化を確認した。

 新政権に対する中国の期待は具体的だ。長年にわたり停滞してきた一帯一路(BRI)関連プロジェクト――チャオピュー深海港、ムセ〜マンダレー鉄道、北部国境地帯の新たな貿易ゾーン――の再始動が優先課題として挙げられている。新政権で外務大臣に就任したティン・マウン・スウェ氏は、駐中国大使経験者(22〜25年)であり、BRI関連の実務協議を担う人材として位置づけられている。

 紛争防止のための調査・提言を行う国際NGO、インターナショナル・クライシス・グループ(ICG)は、26年3月のレポートで、中国は24年半ば以降、新政権への政治的・軍事的・財政的支援を拡大しており、今後はBRIプロジェクトの承認加速など「相応の見返り」を求めるとみている。一方でネピドー側も、過度に中国に縛られることへの懸念を持っており、両者の間には実利的な計算が働いている。

 実際、「パウッパー」外交を中国からの一方的な好意として読み解くことはできない。地上では、中国と深い関係を持つ民族武装勢力による実効支配の拡張が静かに進んでいる。北部シャン州では、コーカン系のミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)が25年1月にコーカン自治区(SAZ)の名称を廃止して「特別地区1(SR-1)」を宣言し、ラウッカイ・モンコー・クッカイ・シェーニの4郡に行政管轄を拡大した。その南下の動きは、ムセ〜ラーショー間の中緬幹線道路沿いに連動しており、26年3月にはMNDAAが旧同盟軍のタアン民族解放軍(TNLA)からクッカイを制圧し、翌日に同道路を再開通させた。中国の特使がネピドーでミャンマー外相と会談した翌日に戦闘が始まったことは、多くの観測者の注目を集めた。

 MNDAA支配地域では、シャン系住民の土地が中国系農業投資家(サトウキビ栽培)に転貸され、商店の看板への中国語表記が義務づけられ、50万元以上を投資した中国人・外国人に永住権を付与する制度が設けられるなど、経済的・人口的な構造変容が進む。ICGは「現政権の多くの将官が若手時代に北部シャンで中国共産党支援の武装組織と戦った経験を持ち、中国系武装勢力を実存的脅威として認識している」と指摘しており、「胞波」外交と地上の実態との乖離は、ネピドー内部でも意識されていると見られる。

 ラカイン州でも似たような構図がある。アラカン軍(AA)はラカイン州17郡のうち14郡を実効支配し、ミャンマー・バングラデシュ国境全域を掌握するに至っている。AAはチャオピュー深海港や中緬パイプラインを意図的に攻撃せず、外国投資の保護を公言しており、これが中国に対する交渉上の担保として機能している。中国はMNDAAやTNLAを停戦・撤退させた同じ圧力をAAには十分に行使できていないとされ、AAはある意味で中国の影響力を逆手に取りながら自律性を確保している。ラカイン州は対中依存を象徴するチャウピュー回廊の終点でもあり、AAの動向は中緬経済回廊(CMEC)全体の命運に直結する。

 ミャンマー国営紙グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマーは26年の春節(旧正月)にあわせた報道の中で、25年にミャンマー。中国両国間の貿易が19パーセント増加し、中国のミャンマーへの直接投資が230パーセント増加したことを伝えた。また、25年には25万人を超える中国人旅行者がミャンマーを訪問したとされており、経済的な関与の深化が数字に表れている。

 新政権にとって「パウッパー」外交は、国際的な孤立を緩和するための現実的な柱となりうる。他の欧米諸国や国際機関の多くが慎重な立場をとるなか、中国の早期関与はネピドーにとって重要な外交資産といえる。

 しかし、中国への接近を手放しで歓迎しているわけではない声が、ミャンマー政府・軍の内部に存在することは見落とせない。歴史的に見れば、ミャンマーの歴代政権は中国の影響力が過度に及ぶことを警戒し、等距離外交の維持に腐心してきた経緯がある。

 2011年のテイン・セイン政権によるミッソン・ダム建設中断は、その象徴的な事例として記憶されている。36億ドル規模の中国主導プロジェクトを中断するこの決断の背景には、国民の反対世論に加え、西側諸国・日本との関係正常化が対中依存を低下させたという構造的な変化があった。複数の研究者は「民主化改革を通じて西側や日本との関係が回復したことで、中国のレバレッジが弱まり、中断の政治的コストが著しく下がった」と分析している。

 日本のODA再開やティラワ経済特区(SEZ)への関与は、ミッソン・ダム中断後に本格化したものだが、日本を含む多極的な経済パートナーの存在が対中交渉力を支える構造は、今日も変わっていない。

 では、日本の立場はどうあるべきだろうか。日本はミャンマーに対して長年にわたる開発協力の実績を持ち、ティラワ経済特区の整備など経済連携においても先行している。21年の非常事態宣言以降、日本政府はODAを一時停止するなど慎重な対応を維持してきた。一方で、ミャンマーの対中傾斜が進めば進むほど、日本がとりうる関与の余地は縮小していく構造がある。北部シャン州やラカイン州での中国系武装勢力の実効支配拡大という地上の現実は、「パウッパー」の言葉が覆い隠す権益争いの深さを示している。新政権発足という節目に際し、日本としてミャンマーとの関係をいかに維持・再構築していくのか――その問いは、関係者の間で改めて問われることになろう。