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【論考】選挙はミャンマーの国家再統合をもたらすのか
ミャンマーで12月末から実施される総選挙をめぐり、国際社会では評価が割れている。一方では「民主化への回帰」を期待する声があり、他方では「正統性なき茶番」と切り捨てる見方も根強い。しかし、いずれの立場も、選挙を民主主義の成否という規範的基準だけで測ろうとする点で共通している。ミャンマーの現実を理解するには、軍がこの選挙をいかなる統治過程の中に位置づけているのかを見極める必要がある。
ミャンマー国軍(タッマドー)は、長年にわたり国家の最終的な守護者を自認してきた組織である。その思考様式を分析した研究が示すのは、軍にとって国家再統合とは、政治的和解や社会的癒合を意味するものではなく、統制の回復と秩序の再構築を指すという点である。国家は自然に安定するものではなく、強い管理によってのみ維持されるという発想が、軍の国家観の中核にある。
この文脈で選挙を捉えると、その意味合いは大きく変わる。軍にとって選挙は、国民的合意を形成する場ではなく、統治秩序が回復したことを内外に示すための制度的手続きである。すなわち、選挙は民主化の「出口」ではなく、統治フェーズを管理するための一工程に位置づけられている。
過去を振り返れば、2011年に発足したテイン・セイン政権期、ミャンマーでは確かに改革が進んだように見えた。政治犯の釈放、報道規制の緩和、野党の選挙参加、国際社会との関係改善などは、民主化の進展として広く評価された。しかし、この時期の変化は、軍が権力を手放した結果ではなかった。軍は安全保障上の主導権を保持したまま、統治の方法を「統制一辺倒」から「制度管理」へと切り替えたのである。
重要なのは、軍がその際、文民政治を条件付きで許容していた点だ。行政の一部を委ね、国際社会との関係修復を進めることで、制裁解除や投資回復といった利益を得る狙いがあった。民主化は目的ではなく、国家運営を持続させるための手段だったと言える。
一方、2016年以降のNLD政権期において、軍は文民統治が自らの「統制線」を越えたと認識した。文民政権への不信は決定的となり21年2月1日、憲法第417条に基づき非常事態を宣言することによって、軍は再び直接統治へと回帰した。この経験は、軍の内部に「制度化は不安定化を招く」という認識を強めた。
こうした経緯を踏まえると、現在の選挙準備は、テイン・セイン期の再演というより、統制秩序を再確認・固定化する過程に近い。治安権限は軍が全面的に保持し、有力政党の参加は制限され、選挙管理も軍主導で進められている。これは、統治の質が制度管理へ移行しつつある兆候というより、統制能力を正当化するための手続きと読む方が自然である。
ただし、ここで注意すべきは、選挙をもって直ちに評価を完結させないことである。選挙そのものが再統合を完成させるわけでもなければ、無意味な儀礼に終わると決めつけることも適切ではない。重要なのは、選挙後に統治の質がどの方向へ動くのかである。
具体的には、治安運用が部分的に緩和されるのか、地方行政に一定の裁量が与えられるのか、武装組織への対応が全面的掃討から管理へと移行するのか、国際社会との関与が象徴的対話から実務的接触へと変わるのかといった点が、現実的な評価指標となる。これらが見られない場合、選挙は国家再統合ではなく、統制秩序の再確認に留まる可能性が高い。
ミャンマーの政治的変化は、外部からの規範的圧力によって急激に生じるものではない。軍自身が、統治の持続可能性をどのように再設計しようとしているのか、その内在的論理を見極めることが不可欠である。選挙を民主化の成否だけで評価するのではなく、統治の質の変化という観点から冷静に読み解くことが、今後のミャンマーと向き合うための第一歩となる。